わが身が修まってはじめてわが国が治まる

この章の本旨は、かりに

「賢を悦ぶ」
「賢を養ふ」
「賢を尊ぶ」

という三つの問題を三つの段階として読むならば、
おのずから明白となります。

「賢を悦ぶ」ということは、
賢者の高い徳やりっぱな行いを悦ぶだけのことであり、

「賢を養ふ」とは、
米肉を絶やさずに贈ることにすぎません。

「賢を尊ぶ」ということになると、
その賢者の高い徳やりっぱな行いを悦び、
さらに米肉を絶やさずに贈る上に、

ともに天位を共にし、
天職を治め、天禄を食むものであります。

しかるに、今の世の君主たるものに、
これを行っている人物は実に少ない。

しかしながらこのことは、
われわれ自身、みずから反省する時、
いかに困難であるかを理解することができます。

今、わたくしは読書が好きですので、
読書によって右の問題を考えてみましょう。

書物は、聖人賢者の言行を書き記しているものですから、
好んで読書するということは、
「賢を悦ぶ」ことと同様といえます。

しかしながら、学者の共通の欠点として、

書物は書物であり、
自分は自分である、

自分は書物と関係なく、
書物は自分と関係ない、

といって、聖人賢者のことばを我がことばとし、
聖人賢者の行いを我が行いとすることができない、

これは、『孟子』に見える、
魯の穆公が賢を悦ぶのみで、
賢を養うこともできず、
賢を尊ぶこともできなかったのと
同類の話といわなければなりません。

そうであるから学者に、
聖人賢者のことばを我がことばとし、
行いを我が行いとするものが少ないことによって、
君主の、賢を養い賢を尊ぶことがむつかしいものであることを、理解すべきであります。

それ故に、主君に、賢を養い賢を尊ぶことを諫めようと思うならば、

まず自分自身が、聖人賢者の言行を
みずからの言行としなければなりません。

わが身が修まってはじめてわが国が治まるといい、
立派な人だけが君主の心の非を正すことができるというものは、
みなこの意味なのです。

ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。

そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、

明治維新の原動力となり

日本を変えていったのでした。

⇒ この本をときどき繰り返し読んでいます。