次のステージも見据えて応援をしていこう

今年1月1日に発生した、「令和6年能登半島地震」により、
多くの犠牲となられた皆様のご冥福をお祈りしますとともに、
いまなお避難所生活などを送っておられます皆様にお見舞いを申し上げます。

あれから二週間が経過しました。

新年早々の突然の地震、そして突然の津波や関連した自然災害で、
正月のおとそ気分が一瞬にして厳しい状況になってしまった方もたくさんいらっしゃると思います。

道路事情も厳しいとのことで、
ボランティアもなかなか現地に行けない状況との報道もありますが、

自衛隊や警察をはじめ、日本全国からたくさんの支援が連日北陸地方へと集まっていますし、
少しずつ様々な業種の方々が支援に向かっています。

東日本大震災を思い起こすと、被災直後は多くの方々が、
避難所生活で精神的にも大変なことが多いことと思いますが、

数カ月が経過してくると、
被災した地域の、復興のまちづくりをどう進めていくかという議論になっていきます。

日本全体で見ても、日本経済の数字は一時的にはマイナスが出てくる可能性はありますが、
年後半には復興需要を見据えた経済運営となることでしょう。

どんな街をつくるのか、
個人としてはどんな事業を、どんな仕事をしていくのか、
そんなフェーズが必ずやってきます。

そして厳しい自然災害があった地域ほど、
その災厄を乗り越えてその地域で何かを新たにつくる動きが生まれるものです。

歴史を振り返ると、わが国の歴史はこの繰り返しでもあり、
厳しい災害を乗り越えた人々によって、
新たな時代がつくられてきたとも言えます。

約100年前の関東大震災では首都東京は壊滅的な被害を受け、
多くの人々が犠牲になったわけですが、
そこから新たな都市が生まれ、活力が生まれました。

東京は1923年の関東大震災の後復興したものの、
1940年代に空襲で再び焼け野原になりますが、
その後の高度経済成長により、奇跡的な復興を遂げました。

大きな災害の直後は人命の救助優先、
そして安定した生活を取り戻すための様々な支援を国を挙げて進めていかなければなりませんが、

落ち着きを取り戻してきたならば、
次のステージでどんな街をつくっていくのか、
どんな事業をしていくのか、どんな仕事をしていくのか、
新たな時代をつくる動きを進めていくことになります。

過去の歴史を振り返ると、
身近な人を震災で亡くしたり、財産を失ったり、
大きな悲しみに打ちひしがれた人ほど、

その悲しみを乗り越えて、

亡くなった家族の分まで精一杯生きていこう、
亡くなった友人がきっと見ているから休んでいるわけにはいかない、

そんな思いで大きな仕事をしていく人が多いものと感じます。

わが国の先人は、そして私たちのご先祖様は、
そんな悲しみを乗り越えて大きな事業を成し遂げ、
いまの日本があるのでしょう。

いまは人命救助、そして避難所への支援や、
義援金をお送りするという時期ですので、
国を挙げてみんなで助け合っていくときですが、

その次のステージでは、被災した地域のみなさんが、
復興を見据えて主体的に新たに何かをつくるということになるでしょう。

北陸地方の若い世代から、新しいものが生まれることでしょう。

そうした復興の中長期的な支援も含めて、
継続的に、ぜひともみんなで応援をしていきましょう。

「令和6年能登半島地震に係る能登町災害義援金の受付について(石川県能登町)」
⇒ https://www.town.noto.lg.jp/www/info/detail.jsp?common_id=20811

(第4871号 令和6年1月15日(月)発行)