罪よりも恥のほうが重い

ある人が「罪と恥と、どちらが重いか」と質問しました。

わたくしはそれに次のように答えました。

罪は身の上の問題であり、
恥は心の上の問題です。

身の上の問題の恥は軽く、
心の上の問題の恥は重い。

今、民間にある無位のものが、
みだりに朝政を論議し官吏を誹謗することは、

身分・職責を越えた罪になり、
それはもちろん許すべきものではありませんが、

その心を思うと、
それは国家を憂える至情、
道義を明らかにしようとする至誠から出たもので、
深く咎めるべきものではありません。

ただ、彼らが、
自分の畑を放り出して他人の畑の草取りをしたり、
自分の欠点は棚に上げて他人の欠点を非難する態度を、
「罪」とするのです。

それに対し、
恥というものはわが心のなかにあるもので、
尊い地位におり、多くの俸禄を与えられていながら、
道義を世に実行することができないならば、
まことに恥ずかしいことであって、
これが「恥」というものであります。

もしさらに孟子のいう
「類をみて義の尽くるに至る」、

不義のわくを広げ、道義の究極に立ってそのことを批判するならば、
それは「盗」ということができます。

なお、「罪」というものはその行為が
外に顕れるものでありますが、
それは罪をおかした当人だけに限られた問題です。

それに対し、「恥」というものは、
それが心のうちにあって外には顕れないものでありますが、

その害は、
君や民衆の上にまで及んでゆきます。

従って、罪と恥と、
どちらが軽くどちらが重いかは、
いうまでもないことでしょう。

ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。

そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、

明治維新の原動力となり

日本を変えていったのでした。

⇒ この本をときどき繰り返し読んでいます。