政治において教えることと処刑することの二者は最重要

「子、以て王者おこることあらば、
 将に今の諸侯をつらねて之を誅せんとすと為すか、
 其れ之を教へて改めずして、しかる後に之を誅せんか」、

今、真の王者が興ったとしたならば、
今の諸侯をすべて死刑に処するでありましょうか、

それとも教えてしかも改めない時、
初めてこれを処刑するでありましょうか。

このことばは、政治上の眼目であって、
多年の宿弊を改革しようとするものは、
最も注意すべきところであります。

政治において教えることと処刑することの二者は、
どちらを棄てることもできないものであります。

まず教えよ、
教えるに当っては、
丁寧親切にすることが大切であります。

孫子が三たび命令を下し、
五たびこの意を説明したようにせねばなりません。

その後で、その教えに従わない場合には、
処刑せよ。

処刑には、厳明果断であることが大切であります。

孫子が、命に従わない二姫を斬ったようにしなければなりません。

教えた後で処刑し、処刑しておいてまた教える。
この両者は、互いにたすけあって
功果が挙がるものであります。

しかし、教えることを主体とし、
教えてもどうすることもならない時、
初めて、処刑をもってその補助とするのであります。

処刑は、極端を除くための一時の手段であり、
教えは、始めであり終わりであり、一貫の道なのです。

ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。

そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、

明治維新の原動力となり

日本を変えていったのでした。

⇒ この本をときどき繰り返し読んでいます。