私がここのところ仙台で活発に活動をしている理由

私は、衆院選宮城2区の自民党公認候補となることを想定して、
今までの選挙区である若林区だけではなく、
宮城野区、泉区でも街頭に立つなど、
政治活動をここのところ積極的に行っています。
宮城県議会議員としての活動も進めながら、
スキマ時間を利用して、
街頭に立つなどしているところです。
これまで多くの皆さんに、
この戦いは無謀だと言われ、
応援してくださる方の中にもやめるべき、
もう応援しないという声もありました。
確かに無謀に見えるところもありますが、
ここで、この場面で、自分が行かなければと覚悟を決めて、
今年行われた、自民党宮城2区の支部長公募に手を挙げたところです。
結果として、支部長に選出していただきましたが、
その後、ある事情で新たな2区支部の設立も遅れたり、
また資金面で苦しんだり、
人手も足らず、ご迷惑をおかけしたりしながら、
何とかようやく少しずつ回転し始めてきたところです。
私は36歳の時に無所属で出馬した最初の県議選で落選をしたので、
よくわかるのですが、政治家にとって「落選」はしてはいけない経験だと思っています。
落選中の四年間私は、
多くの方に出会えましたが、
精神的に、まっすぐに、
取り組むことが難しかったなと思い出されます。
落選したからこそやさしくなり、強くなる政治家も確かにいますが、
ほとんどの場合、落選すると政治判断がおかしくなります。
昭和の時代には、落選経験のある政治家は総理大臣にしてはいけない、
国家危急のときの判断を間違うから、と言われていました。
最近は言われなくなったようですが。
私は、何とか4年後の県議選で当選することができましたが、
これはいま思うとたくさんの応援をしてくれた方々のおかげ、
そしてともに歩いてくれた同志の皆さん、
後援会のみなさんのおかげであり、
家族が理解してくれたおかげで、今があると思っています。
今日で1,145回目となった街頭活動も、
たくさんの方々のお声がけ、直接やSNSでの激励があったおかげで、
雨の日も風の日も暑い日も雪の日も継続することができたのだと思います。
また、この10年間、
宮城県議会で先輩議員や同僚議員とともに活動することで、
微力だった私も、何とか政治家として力をつけることができ、
本当にありがたく思います。
しかし、これからの道筋は、
さらに険しく、
国政への挑戦に失敗したならば、
私の政治生命はそこまでのものであるとされるでしょう。
私に天命があれば、
ここから日本のため、世界のために働く決意ですが、
もしそうでないならば、
ここからは政治以外の道を選ぶべきという天命なのだと思います。
政治の世界で長きにわたり活躍される方は意外と少ないもので、
どんなに強い政治家でも栄枯盛衰、山があれば谷もあり、
有権者のみなさんから退場と判断されれば、
別の世界へということはよくあるものです。
だからこそ、いまこの瞬間、
仙台の多くの皆さんにお会いし、
街頭で手を振り、お話をしながら、
また地域の方々に地域でお会いし、
政治がなすべきことについてご意見を伺っていき、
私自身、全力を尽くしたいと思っています。
これまで小さいときから育てていただいたこの仙台に、
少しでも恩返しをし、子供たちのために次の世代の種まきをし、
よりよい仙台、よりよい宮城、よりよい日本をつくる、
そんな活動を、常在戦場、いつになるかわかりませんが、
投票日まで精一杯活動をしていく所存です。
私にとっては、
人生最大の戦いとなることと思います。
そして、私に政治家としての天命がなかったとしても、
別の分野であっても、
別の土地であっても、
死ぬまで、世のため人のために、
様々な「つくる」活動を続けていきたいと思っています。
仙台市宮城野区・若林区・泉区のことを、
誰よりも知り、誰よりも貢献し、誰よりも活動し、
「日本を変え、世界を救う」という志を持って、
「強い日本をつくる」活動を続けていきますので、
皆様の御支援をどうぞよろしくお願いいたします。
【お願い】渡辺勝幸のポスターを仙台市宮城野区・若林区・泉区で貼ってください!
⇒ https://katsuyuki.jp/2025/11/01/
(第5543号 令和7年11月17日(月))