「養生喪死」とおもいやり

このメルマガでは孟子のお話をよく引用していますが、
天皇陛下のご長女、敬宮愛子内親王殿下の称号、お名前は、

中国古典の四書五経の一つ、
『孟子』離婁章句下の一節を原点とされています。

「仁者は人を愛し、礼有る者は人を敬す。
 人を愛する者は人恒に之を愛し、
 人を敬する者は、人恒に之を敬す」

『孟子』は古代中国、あるいは科挙の世界にとどまらず、
現代人にとっても、日本人にとっても大きな影響を及ぼしています。

さて、その『孟子』に、

「養生喪死」

という四字熟語があります(『孟子』梁恵王・上)。

生ある者を十分に養い、
死んだ者を手厚く弔うこと。

子供が親に安定した生活を送らせ、
死んではとどこおりなく葬儀を行うこと。

孟子は、このことを民衆に心残りなくさせてやることが
王道政治の第一歩であると説き、あるべき政治の姿としました。

「養生」は父母や妻子を豊かに生活させる意です。

孟子は葬儀を重要視し、
とりわけ「親の葬儀」を最重要価値としました。

「親の生存中に、孝養を尽くすことは当然であるが、
 これは平常の道徳であってそれほど大事とするにはあたらない。
 ただ、親が死に、その葬儀をするのは人生の大事にあたるものである」

さらに『孟子』のなかで、
昔の習俗について述べています。

かつて、親を埋葬しない人々がいました。
親が死ぬと、彼らは死体を集めて溝に投げ入れるだけ。

ところがある日、その場を通りかかると、
狐が死体を喰らい、蝿や蛆が死体にたかっているのを目にします。

すると、とたんに額に冷汗が噴き出し、
彼らは、それ以上は見ようとしなかったというのです。

これについて孟子は、

「顔面に冷汗が流れたのは、他人の目を気にしてそうなったのではない。
 その反応は彼ら自身の心のもっと深いところから湧きあがったのだ

と述べ、その後彼らは、急いで死体を埋めなおしたのだと。

親の葬儀、埋葬を行うことは、単なる慣習ではなく、
それはまさに親子の絆を証しているものであり、
死ですらそれをほどくことができないのだ、と記しています。

誰でも訪れる「死」。
そして、子より先に親がなくなることが一般であると考えれば、

親の葬儀を行うことが「礼の中心」、
人の道の最重要な行為である。

これが孟子の指摘するところです。

そして、こうした仁や義が人にあるということが、
人と禽獣のちがいであるとも孟子は述べています。

思いやりや慈しむという「仁」という心は、
人間ならば誰にでもあるはずです。

やさしい心があふれるような、
そんな世の中になっていくようにしたいものです。

(第4395号 令和4年9月26日(月)発行)