私の伯父が亡くなりました

令和4年11月15日、私の伯父である渡辺瑞夫が亡くなりました。
86歳でした。

伯父は、現在は登米市である旧米山町議を平成2年から3期務め、
地域の課題、とりわけ農政を中心に政治に取り組んだそうです。

地元の農業構造改善事業、農村基盤整備には特に強い関心を持ち、
農業や昔の話をよくしてくれたものです。

代々のご先祖様の話や、村長を務めたのは誰々だとか、
いろいろな話も聞きましたが、
メモを取っておけばよかったなと今になって思います。

私が小さいときは、若かったこともあり、
伯父は厳しく、そして活発な印象がありました。

私が小さいころの写真が残っているのですが、
昭和52年、かつゆき1歳半の正月。

おじさんから、千円札と100円玉数枚を見せられ、

「かつゆきくんはどっちがいいかな?
 コインのほうが重たいよ~」

と私にとっては人生初の厳しい選択を迫られました。

しかしそこはカツユキ少年、
迷わず千円札のほうを選び、
それを手にして大いに喜んでいたのだそうです。

記憶にはありませんが、
写真として残っています。

ユーモアあふれる伯父でした。

さらに私が20代になり、
市川一朗参議院議員の政策秘書になったころ、

「市川先生に陳情したいから上京の折に会わせろ」と盛んに言うので、
やむなく議員に時間を取ってもらい、面会を設定しました。

伯父は熱心に米山町内の国道の道路整備改修を要望し、
地域がいかに困っているか、
そして道路整備を熱望しているかを、
熱く語っていました。

市川議員はやさしい方でしたので、
その熱弁を熱心に聞いて下さり、
伯父はとても喜んで帰りました。

しかしその国道は3ケタ国道なので、
国道ではありましたが直接国が携わっているのではなく、

県管理の国道ということで、
その後、宮城県東京事務所に要望内容をつないだという、

道路要望によくありがちな経験をしたという記憶を、
いまでもよく覚えています。

いずれにしても、伯父は、
昔から私が頑張っているととてもほめてくださり、

とりわけ私が政治の道に携わったことをよろこんでくれ、
選挙に出たときは様々に声をかけてくださり、
応援をしてくれました。

11月23日、葬儀が登米市南方町で営まれ、
地域のために、熱心に活動する伯父の姿を思い出しながら、
棺に向かい合掌し、心からご冥福を祈った次第です。

冷たい風が吹く寒い日でしたが、
熱く政治に取り組む姿を受け継いでいかなければと、
あらためて強く感じたところです。

(第4453号 令和4年11月23日(水・勤労感謝の日)発行)