浪人生活の感覚を思い起こすこと

参院選も終わり、
8月25日には仙台市議選、
そして10月27日には私自身の宮城県議選があります。

私にとって今度の選挙は3度目の選挙となり、
1度目は次点にもなれず落選、
2度目にトップ当選ということで、
落差のある2回の選挙を経て、
現職として初めて迎える選挙になります。

党務の青年局長をはじめ、
PTA会長や諸団体のお役目をいただき、
そして県議会も公務として9月議会がありますので、
時間のないなかで戦うはじめての選挙であり、

若林区では新人も自民党はじめ各党から出馬しそうですので、
守りの選挙になるのは、
私にとってはなかなか厳しいものがあります。

しかしながら、
失業、被災、落選した五年間の浪人生活を思い出すと、

その頃に比べると自分自身も成長し、
また多くの方に支えていただけるようになったなという実感があります。

そして同時にあのころは、
自分が未熟だったなということも感じます。

未熟だった自分を多くの人に育てていただいたなと思い出しながら、
よく考えてみるといまだなお成長途上であるとも感じます。

経験を積み未熟さは薄れてきたと思っていますが、
しかし政治を志した原点は忘れずに、

そして自らが逆境の状況から、
志を忘れずに、狂っているほどの行動をする、し続ける、

そんな日々を送り続けるということを、
自分が倒れる日が来るまで止めないでいたいと思っているところです。

以下に引用するのは、平成25年、
落選してから二年の日のメルマガ記事です。

落選直後もつらいものですが、
先が見えない中間の時期というのはもっとつらいものだったなと思い出します。

このころから次の選挙が見えてきたので、
徐々に徐々に目標が明確になってくるのですが、

孟子が

「志は気の帥なり。
目標を持てば、気力は自然と湧いてくるものである」

と言ったように、

浪人生活のつらさを乗り越える最も重要なポイントは、

「目標を持つことができるかどうか」

にあると経験して感じました。

令和元年7月22日現在、
街頭活動は778回。

平成25年、このころの感覚をときどき思い起こしながら、

日本の政治をつくる、世界を変えるんだ
という大きな目標を持ちつつも、
いまできる小さなことを着実に継続していきたいと思っています。

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【引用ここから】

【私が落選して、二年がたちました】

平成23年11月13日、
私は宮城県議会議員選挙に無所属で立候補し、

5,042票をいただきましたが、
落選しました。

あれから二年がたち、
落選翌日から続けてきた街頭活動も、
数を数えると246回となりました。

長かったような短かったような、
そしていろいろなことがあった二年でしたが、

新しい政治を「つくる」んだという志だけは、
なんとか持ち続け、
現在に至ります。

家族をはじめ、つくる仙台関係のみなさん、
そして地域の多くのみなさんのお支えがあって、

二年間なんとか活動を続けられました。

衆院選、市長選、参院選、そして知事選と、
この二年は選挙が多い二年間であり、
私自身の名前があがったりもした二年間でしたが、

おそらくあと二年は、
仙台で選挙が行われることはないでしょう。

起伏のないなかでの地道な政治活動というのもまた
浪人にとっては大変なものがあります。

しかし、
早朝の街頭活動をしていると、
それぞれの場所でなじみの顔の方が増えてきました。

最近では点が線に変化したような感覚にも。

いろんな人に別の場所で会ったときに、

「いつもがんばっているの見てますよ」

と声をかけていただいたり。

大人だけでなく、
ちびっこも小学生も中学生も。

街頭活動をただ続けたということだけで、
人の輪が広がっていくようにも感じ、

また毎日朝早くに街頭に立つという
普通に考えると困難なことも、
最初は大変厳しい精神状態でしたが、

次第に時が経つにつれ、
なじみの顔がそこにあるから行かなきゃな、
という楽しい気持ちになってきたのでした。

ポジティブチェンジですね。

しかし不安がまったくないわけではありません。

街頭に立ち続けたからと言って、
次の戦いで必ず勝利できる保証はどこにもありません。

風次第でいくらでも結果が変わってしまうのが政治の世界。

不確定な将来ではありますが、
そして逆境が長きにわたり続き、
何度もあきらめかけたことはありましたが、

あと二年、
なんとしてでも必死で頑張りたいと思います。

ところで、日本の原点は、
武士道精神にあると私は確信しているのですが、

武士にとっての刀とは、
「道具ではない」のだそうです。

「道具」とは片付け、しまうもの。

しかし武士にとっての刀とは、
肌身離さず、常住死身。

そして私たちは、
刀を身につける武士と同様、
常に「志」を肌身離さず持っていなければなりません。

私にとっては、
志を毎朝毎夕確認する刀のようなものが、
街頭演説なのかもしれないなと、

先日林塾の同志とのやりとりの中で
感じることがありました。

事務所の前に張り出している、
街頭演説の回数表示。

これを一つずつ加算していくことで、
自分には志があるのだとあらためて確認しており、

志に水をやっている場面はまさにこの街頭活動であり、
街頭回数表示を貼っているときなのだなと自覚しました。

そうであるならば、
次の戦いまで、
ひたすら常住死身になって、

人から見れば「狂っている」と思われようとも、
私はやり遂げていきます。

さて、あなたの志は何でしょうか?

その実現のために、人から見れば狂っていると思えるほど、
やっていることは何でしょうか?

いまどん底だと思っているあなたは、
二年前の私といっしょです。

逆境から、
志を忘れずに、

狂っているほどの行動をする、
し続ける、

このことが志を果たすためには必要なのだと思います。

さらに言えば、結果として、
志が果たされなくてもそれでよいのだと思います。

さあ、あと二年。
やっと折り返し地点まで来ました。

皆様の応援、よろしくお願いいたします!

(第1156号 平成25年11月13日(水)発行)

【引用ここまで】
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