『講孟箚記』の執筆と講義を継続する吉田松陰

安政三年三月、春の着物ができ上がりましたが、
川辺にみそぎしようとする心をも絶ち、
新緑の林には花が盛りでありますが、

野辺のそぞろ歩きをも忘れ、
戸を閉じて書を読みつつ、
ひとり昼が長くなったことを喜び、
客を断って生活を簡素にし、
世間のわずらわしさからのがれていることを幸いと思う。

慎みの身をこのようにすごしていたところ、
今月二十一日の夕、
父兄親戚の人々が会合して、
わたくしに『孟子』の講義を再開することを勧められ、
同時に『箚記』の筆をも続けることとなり、
その執筆の年月日を記して、
これを千万年の後までも、長く伝えることとなりました。

二十一回猛士、みずから以上の経緯を記すものであります。

ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。

そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、

明治維新の原動力となり

日本を変えていったのでした。

この本をときどき繰り返し読んでいます。