人物は将来権力をほしいままにする人間とは、はじめからそれを見抜いて交際しない

わたくしは古今を通してみると、
姦権威福をほしいままにし、
または謀叛をたくましくした人間、

だいたいにおいてその初めは恭しく人にへりくだり、
敏遜の態度で学問を好み、
すこぶる人望名誉があったものです。

漢の王莽や明の嚴嵩のごときものでさえも、
初めから権力をほしいままにし
謀叛をたくましくしたのではなかったので、

賢士大夫が、
よろこんで交際したものです。

それゆえに彼らが、
権力をほしいままにし、
謀叛をたくましくするようになっても、
急に交際を絶つことがむつかしく、

そのため揚雄が新に美辞を呈したり、
唐順之が嚴嵩を称賛したりしたような例が多いのです。

しかるに明智の人物は、
その人物を当初において見抜いて交際せず、

果断の人物は、
その人物の罪悪が顕れた時、
これを面責して交際を絶つのであって、

〔権勢ある者を見てこれにへつらってがむしゃらに進み、
 万一の成功を計ったり、
 人を押しのけても自分さえよければというごとき輩は、
 問題にするに足りない〕

もしこのいずれかの道を失った場合には、
必ず節義を誤って生涯悔ゆるとも及ばぬことになるのです。

そうであるから、
「切問近思」、自己の問題を切実に究明し、
日常の事について具体的に工夫しようとする人物は、

みずからがこの環境にあるものと想定して、
よくよく思慮すべきであります。

この問題は、極めて対処しがたいところであります。

それゆえ、いい加減の気持ちではこれを知ることができず、
真に対処しがたいことを知るものであってこそ、
ようやく権勢家より汚されることを免れ得るでありましょう。

ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。

そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、

明治維新の原動力となり

日本を変えていったのでした。

この本をときどき繰り返し読んでいます。