県知事、県議会議長とともに、
ブラジル宮城県人会創立70周年記念式典にご招待いただきました!
6月1日から9日間の日程で、
村井嘉浩宮城県知事、菊地恵一宮城県議会議長とともに、
米ロサンゼルス、ブラジル・サンパウロ、米ホノルルを訪問する宮城県議会海外派遣に参加しました。
なかでも6月4日の、ブラジル・サンパウロ市にある、
ブラジル宮城県人会館において開催された、
「ブラジル宮城県人会創立70周年記念式典」
に、知事、県議会議長とともにご招待いただき、
ブラジル・サンパウロ市を訪問した日程を軸とし、
南加宮城県人会(アメリカ)、ブラジル宮城県人会、ハワイ宮城県人会のみなさんと、
親しく懇談する機会を得ながら、宮城県産品の販売や、インバウンドによる海外からの宮城への誘客などについて、
生の声をたくさんいただき、コロナ明けのこれからインバウンドが戻ってくるだろう状況において、
大きなヒントがたくさんあったように感じます。
全体では【5泊9日】という、
成田からロサンゼルス、
ヒューストン空港経由サンパウロ、
ニューアーク空港経由ホノルル、そして成田へ帰国というかなりの強行日程で、
県職員の皆さんとともに、県議団としても限られた時間に、
活動できる限界まで活動したような日程でした。
帰国翌日の午前中は、時差ボケというよりは体が動かないほどで、
いつの日か、それぞれの国を訪れるときには、
プライベートでゆっくり行きたいなと感じたところです。
●南加宮城県人会(アメリカ)
⇒ https://www.kenjinkai-kyogikai.org/kenjinkai.html#miyagi
明治35年設立の南加県人会は、在外宮城県人会の中で、
最も古い歴史を持つ県人会です。
米澤前会長が約30年率いてきた南加県人会ですが、
今年から小川新会長にバトンタッチ。
約70名の県人会は、定期的に会合をして交流を深めたり、
夏には七夕飾り作りをしたりして、
8月にはロサンゼルス七夕フェスティバルに参加しているとのことです。
また、日系社会のまとめ役である南加県人会協議会に所属し、
領事館と連携して、日系人コミュニティとの交流を深めています。
県人会の皆さんと、現在のお仕事や宮城県への思い、
それぞれの出身地の現状をお伝えしたりしながら、
アメリカにおける日本の現状、宮城県の県産品の評価などもうかがいました。
南加県人会におかれましても、東日本大震災の際には、
義援金を募る活動を進め、宮城県に大きなご支援を賜りました。
ありがとうございました。
県人会参加者の中に若林区出身の方もいらっしゃり、
話してみると、蒲町中出身とのことで、
8000km以上も離れた場所で、隣村の話題で盛り上がり、うれしく思ったところです。
●ブラジル宮城県人会
⇒ https://kenren.org.br/antigaversao/ja/kenjinkai/miyagi/
仙台から18,000km離れたブラジル・サンパウロですが、
在留邦人約5万人、日系ブラジル人約200万人とのことで、
日本とブラジルは強いつながりを持っています。
現職の宮城県知事が訪伯したのは、
浅野知事以来20年ぶりとのことで大いに歓迎をされました。
「ブラジル宮城県人会創立70周年記念式典」
では、上利エジガール会長はじめ県人会のみなさま、アルゼンチン宮城県人会や各県のブラジル県人会、
そして在サンパウロ日本国総領事館桑名良輔総領事、George Hatoサンパウロ市議会議員など、
たくさんの方々がお祝いに駆けつけてくださいました。
ブラジル宮城県人会館は、2005(平成17)年落成とのことで、
浅野史郎知事、藤井黎市長、渡辺和喜宮城県議会議長、鈴木繁雄仙台市議会議長の碑銘があり、
村井知事の写真も掲示されていました。
行ってみて初めて分かりましたが、
予想以上に立派な県人会館であり、式典もまた盛大なものでありました。
また式典に先立ち、サンパウロ市イビラプエラ公園にある、
日本移民開拓先没者慰霊碑を参拝し、献花もしたところです。
慰霊碑には田中角栄内閣総理大臣の署名があり、
全国各地からブラジルへ移民し、亡くなられた方を慰霊しており、
ブラジル日本都道府県人会連合会のみなさんとともに、先人のご冥福をお祈りしました。
ちなみに、宮城県においては公益財団法人宮城県国際化協会が、
海外県人会への支援を行っているとともに、
毎年、海外に移住後に異国の地で亡くなられた移住者の方々の労苦をしのび、
供養するために「海外移住物故者慰霊祭」を県内で実施しています。
また、宮城県では昭和55年から平成12年まで「海外移住者里帰り事業」を実施、
移住者の方々の里帰りを支援していましたし、
平成13年の「新世紀・みやぎ国体」においては、
ハワイ、北米、メキシコ、ペルー、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンの、
各宮城県人会の代表者の方々を招待したということもありました。
この70周年記念式典翌日にはサンパウロ市において、
在サンパウロ日本総領事館を表敬訪問し、
桑名良輔総領事よりブラジル国内の現状についてご説明いただき、
その後、ジェトロ・サンパウロセンターを訪問、
原宏所長よりブラジル経済と日系企業の進出状況についてご説明いただき、
それぞれ意見交換するなど貴重な機会もいただきました。
余談ですが、知事のブラジル訪問が、
事前に河北新報の記事に掲載されたのを読んだ、
ある仙台市内の方から私の事務所に連絡をいただき、
「自分の親せきがブラジルに移住して、以前は連絡を取っていたが、
近年連絡が取れなくなったので、何とか連絡を取る方法はないものか」
という陳情をいただくということもありました。
個人情報ですので詳細は控えますが、
ブラジルへの移民が身近にあった時代があり、
現在ではあまり考えられないことではありますが、
その時代にはかなりの数の日本人がブラジルへ渡っていたのだと、あらためて感じました。
そして県人会や外務省の方からお話を伺うと、
ブラジル社会においては、日系人は勤勉で、一生懸命勉強や仕事に励むことから、
尊敬されている存在になっており、
日本人・日系人というだけで、信頼されることが多いのだとのことです。
日系一世の方々には相当なご苦労があったのだと思いますが、
勤勉に働き、またその子弟に熱心に教育をしたとのことで、
18,000km離れたこの土地でのご努力を思うと、
大変なことだったろうなと思うと同時に、
身近な私たちの宮城県から移住をされていたことを想像し、感慨深いものがありました。
日系企業の進出もさかんとのことでありましたが、
県人会も日系二世、三世、またそれ以上になりつつもあり、
そんななかでも宮城県の伝統や文化、
そしてここでも七夕飾りを現地の方々に伝える活動を、
県人会の皆さんは熱心にされているとのことでした。
●ハワイ宮城県人会
⇒ https://www.facebook.com/himiyagikenjinkai/?locale=ja_JP
ニューアーク空港経由でホノルル入りしましたが、
モイリイリ日本人墓地に献花するとともに、
ハワイ県人会の皆さんとも様々な意見交換をすることができ有益でした。
ハワイ県人会は、前県人会の荒了寛会長が先ごろ亡くなられたこともあり、
荒前会長の天台宗ハワイ別院を訪問しました。
荒前会長はハワイ日系人界においても、
中心的人物であったそうで、宮城県人会を盛り上げてくださったようです。
ハワイはやはり日本と近いこともあり、日本の企業や産品が多く進出していたり、
県人会の皆さんからも、具体的に宮城とのインバウンドも含めた相互交流、
県産品の輸出の可能性など具体的なご意見もうかがえました。
近年ハワイには山形県がお米の輸出に力を入れるなど、
様々な自治体がそのネットワークをつくろうと努力をされており、
むしろ宮城県の顔が見えない、との指摘もいただいたところです。
また、毎年3月に「ホノルルフェスティバル」という、
日本とハワイとの交流を基調としたお祭りが開かれるそうですが、
ここに日本各地のお祭りが参加しており、盛り上がるそうなのですが、
宮城県が参加しておらず残念だとのことで、
ぜひ「仙台すずめ踊り」をやってほしいとの具体的なお話もいただいたところです。
また、県人会との皆さんとの意見交換会のほかに、
ミツワマーケットプレイスワイキキ店を訪問。
仙台を本社としているカメイグループのミツワコーポレーション幹部の皆様と、
県産品輸出について意見交換をする機会も得ましたし、
ハワイツーリズムオーソリティも訪問。
ジョン・デ・フリーズ局長兼最高責任者はじめ幹部の皆さんに、宮城県のプレゼンテーションをするとともに、
ハワイと日本の観光政策について意見交換するという活動もしました。
このホノルルの活動においてお会いした宮城県人の皆様のなかにも、
地元若林区、八軒中学校出身という方に二人お会いし、
仙台の話で盛り上がったり、
一女、二女出身の方にもお会いしました。
ふるさとの話は、遠くに行けば行くほど、
不思議な空間になるなと感じたところです。
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今回の海外出張は5泊9日のかなりハードなスケジュールで、
息つく暇もなくたくさんの宮城県出身の方にお会いしましたが、
世界各地で宮城県を熱心に手弁当で応援してくださる応援団が、
たくさんいらっしゃることを感じましたし、
宮城県の県産品を、県人会の皆様の力も借りながら、
どんどん世界へお届けすることはまだまだやれるのではないかと感じました。
コロナが明けて、再び世界が近い存在になってきましたので、
せっかくのこのネットワークを有効に生かして、
宮城県の経済活性化の一助となるような政策を進めていきたいと思います。
(第4655号 令和5年6月13日(火)発行)