親友・小畑文平との別れ

 

 

10月14日、私の高校時代からの親友である、
小畑文平が亡くなりました。
同い年の49歳。

30年以上の付き合いでもありますので、
もう会えないということがなかなか想像できずしばらく涙が止まらない状況でした。

思い起こすと、高校生の時も、
そしてともに浪人した代ゼミの時も、
また大学生となり上京、社会人になってからも、
いつもやさしい文平で、

「カツユキは俺たちの代表なんだからがんばって」

と、20代のときも30代のときも、
熱くいつも励まして応援してくれたことを思い出します。

代ゼミの時や学生時代は、よく会っていたものですが、
社会人になるとお互い忙しくなり、
会う機会も少なくなっていましたね。

いろんな思い出があるのですが、
やはり私がはじめて選挙に出た東日本大震災の年、36歳のときのこと。
ここからともに熱く戦うことになったように思います。

文平が選対の中心になって、同級生をはじめたくさんの人を巻き込み、
選挙戦を戦うことができました。

俺たちの世代が政治に強く関心を持っていかなければならない。
子供ができて、子供たちの将来のことを考えたら、政治次第で国は大きく変わってしまう。
政治がしっかりとしなければということを文平はよく言っていたものでした。

しかし残念ながら、
この平成23年11月の選挙、私は落選してしまいました。

この落選した翌日、
完全に疲弊していた私に、

「無理にでもいいから今日街頭に立て!」

と、文平は私を外に連れ出したのでした。

この日から数えて、街頭活動の数は今日現在、
1061回を重ねるに至りましたが、
当初は本当にやる気がなかったので、
いやいやながらやっていたものです。

そしてそれから3カ月ほど、文平は毎朝、私に連絡してくれ、
若林区内の街頭活動に一緒に立ってくれたのでした。

いまや一千回を超える街頭活動ということで、いろいろな人にすごいですね、とよく言われますが、
最初の三カ月、いやがる私を連れ出してともに街頭に立ってくれた文平がいなかったら、
間違いなく途中で挫折していたと思います。

落選から四年後の平成27年に、私は初当選することができたのですが、
これは後援会の皆さんはじめ、たくさんの地域の方々のおかげであり、
その中心に文平がいたのでした。

文平のSNS公開記事を引用します。

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【引用ここから】

渡辺勝幸応援団
小畑 文平 2011年11月17日

選挙後、毎朝 街頭演説に同行しています。
支持していただいた方には本当に感謝しています。通りがかりの皆様に本気で
感謝のお礼ができている感じがしてます。
今日で4日目でした、。街頭演説場所に移動する時に二人で話をするのですが毎日同じ会話で笑えます。
■かつゆき
「いやあ…。ご挨拶回りしていると こんなに票を取るとは思わなかった!と皆にいわれるよ…。」
「もっと票が入ると思っていたのは俺だけなんだな(笑)」
■ぶんぺい
「かつゆきだけじゃないよ、おれももっと入るとおもっていたよ!(笑)」
でも、
プロの人たちから見ても 勝幸と私たち応援団の戦いは相当 インパクトあったみたいです。
自信持っていきましょう!!!!!

【引用ここまで】
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浪人中の平成24年、文平には維新政治塾に行くべきと強く主張されましたし、
その後、衆院選、仙台市長選と結局私は出馬しませんでしたが、
折に触れて文平と活動の戦略を議論したものです。

初当選してからも、
応援をし続け、励ましてくれました。

そしてそれは、同級生である私、
親友である私を応援したいからというだけではなく、

政治をよりよくしてほしいから、
子供たちのために将来の日本のためによい政治をやってほしいから、
ということを、お酒を飲みながら熱く語られたものです。

政治について議論する方は世の中にたくさんいますが、
そのために具体的な行動をし続け、政治家を真剣に応援してくれる人はそんなに多くはありません。

 

 

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【引用ここから】

茶畑46
小畑 文平 2015年10月26日

宮城県議会選挙を終えて、個人的感想です。
(悪意とかないので 攻撃しないでね!)

茶畑46の皆様へ
我らが応援団長 渡辺勝幸当選おめでとうございました。
皆さんからすると当たり前で「なにを今更…。」という事なのかもしれませんが。
今回の選挙では渡辺勝幸への支援を電話やメール、または会って直接お願いした人が多かれ少なかれいると思います。
その応援をお願いした皆さんにお礼のご一報をしていただければと思います。
これをして初めて選挙に勝ったことになると思います。そして応援していただいた方々と喜びを分かち合う事は非常に大切な事だと感じています。
当選がゴールではないので。今後も末長く支援していたかないと意味がありません。
そして、この「当選する事ができました。ありがとうございました。」というお礼はここ2、3日にしないと機会を逃すことになると思います。
皆さんがお願いし、応援してくれた人に しばらくしてから会って、「そういえば おめでとうね~。」なんて言われると、お願いの時ばかり連絡して、お礼も言っていなかった自分に気づきバツが悪いもんです。
(経験済み)

4年前の選挙から今回の選挙を一連のものと考えると、一高生 特に茶畑46の力は非常に評価されていました。
当確直後の事務所内で千葉達議員の言葉は特に印象的でした。
千葉達議員は勝幸を後継に指名し、引退される自民党県議会議員です。
千葉議員は前回の選挙中に渡辺陣営の勢いを感じ、私の後継は渡辺くんだな。と考え始めたそうです。もちろんその後、街灯に立ち続けた本人の努力が一番なのですが。私たち同級生の力も非常に褒めていただきました。
沖野から西の地域まで浸透し突き進んでくる渡辺陣営をみて、渡辺を敵ながらすごい奴だ、すごい奴らだと思ったそうです。
嬉しいですよね。無駄じゃなかったですね!
感謝の意をしっかりと表現し立派な集団になるといいですよね!
偉そうに失礼いたしました。

【引用ここまで】
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残念ながら昨年の県議選は、
体調が悪かったため応援に行けず申し訳ない、
と何度も言われましたが、
気持ちだけは熱く伝わってきました。

まだまだ一緒にこれからも戦うものと思っていたのですが、
文平は旅立ってしまいました。

そして文平は、家族を誰よりも大切にし、
自分の子供たちの話を誰よりも楽しそうにしていたものです。

子供の話をするときは本当に心から、
とても楽しそうでした。

そして、この自分の家族を大切にすること、
子供たちの将来をよりよいものにしたいということを強く思うからこそ、

政治をよりよいものにしてほしい、
そういう信念が文平にはあり、
そんな話もよくしたものでした。

小畑文平君のご逝去を悼み、心からご冥福をお祈りいたします。
これからも常に、渡辺勝幸を空から見守り、応援し続けてほしいと思います。

そして、子供たちのために、
よりよい政治をめざしていくことを、
私もあらためて誓いたいと思います。

小畑文平よ、永遠に。

 

 

(第5149号 令和6年10月19日(土))