昭和53年宮城県沖地震の風景が私の最古の記憶

昭和53年6月12日17時14分に、
宮城県沖で発生したM7.4の地震、いわゆる

「宮城県沖地震」

から、今日で45年の月日が流れました。

最大震度5、死者は28名、負傷者1325人、
建物の全半壊7,400戸、停電70万戸、断水7,000戸、
ライフラインが停止し、当時の50万人以上の大都市が経験した
初めての都市型地震災害ともいわれています。

この地震を受けて、3年後の昭和56年に建築基準法が改正され、耐震基準を強化、
以後、わが国の建物は、震度6強以上の大規模地震でも倒壊しないレベルが前提となりました。

ちなみに仙台駅の新幹線ホームで流れるご当地ソング、さとう宗幸「青葉城恋唄」は、
この地震直前にリリースされ、復興応援ソングとして当時大ヒットしたのだそうです。

私の人生最初の記憶は、この宮城県沖地震です。

自宅前で近所の人たちが炊き出しをやっていたような風景をなんとなく覚えているのですが、
当時のかつゆきくんは3歳でした。

弟は当時7か月。

地震発生直後、家でハイハイをしていた弟は、
偶然倒れたタンスの隙間にいて助かったそうで、
私と弟は無事でしたが、母は足を大けがしたと聞いています。

母をはじめみなさんのおかげで、私たち兄弟も無事だったわけですが、
この地震で尊い命が失われ、特にブロック塀の下敷きになった児童が多数いたことは、本当に悲しいことです。

残念ながら、宮城県沖地震はこの昭和53年の地震だけではなく、
過去には周期的に発生しているとされていることがわかっており、
その周期は【平均37.1年】の間隔であるとされています。

東日本大震災も、地震予知連絡会は「宮城県沖地震も起きていた」との見解を発表しており、
私も長生きしたならばもう一回、遭ってしまう可能性はあるかもしれません。

だからこそ、今日のようなこうした日に、
もう一度、防災に意識を向けて、

自分でできることは何か、
誰かにできることは何か、
ここで地震が来たらどうしたらよいか、

いろいろと考えるきっかけにすることは大切なのではないかと思います。

できる限りの備えをすることで、
被害を最小限に防ぐことができるよう、
工夫や努力をしていきたいものです。

「1978年宮城県沖地震」(仙台市)
⇒ https://www.city.sendai.jp/kekaku/kurashi/anzen/saigaitaisaku/kanren/1978nen.html

(第4654号 令和5年6月12日(月)発行)