渡辺勝幸応援団から、 平成31年・令和元年政治活動についての講評/選挙戦を振り返って

「宮城県議会議員渡辺勝幸平成31年・令和元年県政年間活動報告」が完成しました。

昨年一年間の議会活動を中心に、
様々な活動を報告した内容となっています。

そして最後に、毎年同級生の佐藤由樹君に
活動の講評を書いていただいております。

客観的に一年間の活動を端的に書いていただき、
私自身も指針としている大事な文章です。

ありがとうございます。

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【渡辺勝幸応援団から、平成31年・令和元年政治活動についての講評】

令和元年、渡辺勝幸は10月27日投開票の宮城県議選(若林選挙区)において、
2回目の当選を果たした。

渡辺は10,273票でトップ当選。
第2位の当選者7,634票に約2600票の差をつけての当選は、
結果だけを見れば、安定したかたちで2期目の議席を得たと感じる人も多いだろう。

しかし、選挙活動に参加した筆者から見ると、
選挙戦は時に悲壮感さえ漂う、厳しい戦いだった。
3議席を4人で争う若林選挙区において、
自民党の公認候補が渡辺と新人の2人になったことから、
誰とどう戦えばよいのか、迷いの中を進む選挙戦であった。

その不安を乗り越え、再選という結果を得ることができたのは、
選挙期間中の活動もさることながら、
県議としての4年間の活動が有権者から評価されたからだろう。

県議として4年目となった渡辺の主な活動を振り返ってみよう。
まず、渡辺は「宮城県議会 スポーツ振興調査特別委員会 副委員長」として
スポーツ振興政策に取り組んだ。
印象的なのは、これまで村井知事が消極的だった
障害者スポーツの振興について、議会でしつこく提言しつづけたことだ。
その結果、東京オリンピック・パラリンピックに向けて、
宮城県障害者スポーツ協会の勢力を拡大することを果たした。

次に「宮城県議会 文教警察委員会 委員」として、
教育と警察の政策について取り組んできた。
教育の課題は、市町村や都道府県だけでできることに限界がある
と感じ始めている渡辺は、国を挙げての課題解決も視野に入れている。
渡辺は令和元年、次女の中学校進学に伴い、
沖野東小学校PTA会長を退き、沖野中学校PTA会長に就任した。
地域に根ざしたPTA活動を継続しながら、
政治家として大局的な視点をもって教育の課題に向き合あう姿勢は、
渡辺ならではの卓越した取り組みだ。

他にも、議会の運営・ルールなどについて議論する「宮城県議会 議会運営委員会 委員」や、
政務活動費の適正な運用のために、手引きの改正や政務のあるべき姿について議論する
「宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員」としても活動を重ねてきた。

人々が渡辺を支持する理由として、
議会以外での活動も見逃せない。
東北大学大学院情報科学研究科の非常勤講師としての「情報技術経営論」の講義も、
平成26年から6年目となり、初回の講義では立ち見がでるほど受講希望の学生が集まった。
県議との両立は大変だと本人は言うが、
起業集団「つくる仙台」での起業支援・創業スクール事業から育っていった起業家を
ゲストスピーカーで迎えるなど、渡辺を中心としながら、
起業家のネットワークは着実に醸成されている。

先にPTA会長としての活動を挙げたが、
他にも注目すべき地域に溶け込んだ活動として
「沖野東小おやじの会(沖父ちゃん会)」がある。
渡辺は初代会長であり、現在は顧問という立場であるが、
活動は2代目会長、そして令和2年には3代目会長へと引き継がれ、
渡辺を慕う沖野の地域住民は増え続けている。
そこで培われた友情のような人間関係は、
選挙戦を戦い抜く上での確かな土台にもなっている。

また、自民党宮城県連青年局長である渡辺は、
「自由民主党青年局 中央常任委員(北海道・東北ブロック)」 にも就任し、
自民党青年局の同志からも厚い信頼を得ている。
12月には、自民党北海道・東北ブロックの青年局会議が宮城で開催され、
渡辺は開催県の青年局長として
「台風19号の被災地は課題が山積し、大震災からの復興も道半ばだ。それぞれの地域で力を尽くそう」
と、北海道・東北を中心としたたくさんの青年世代に呼びかけた。

思えば、この数年間の渡辺の成長には目を見張るものがある。
例えば県議選の前、8月に仙台市議会議員選挙が行われたが、
筆者も参加した菅原正和市議会議員の個人演説会での応援演説では、
市会議員と県会議員の役割を理路整然と説明しながら、
情熱的に候補者の魅力を訴えた姿が印象的だった。
昔の渡辺の演説は、情熱が言動を牽引していたが、
今は、政治家としての具体的な実績やビジョンを論理的に重ねることで、
情熱が言動の細部に溶け込んでいるようだ。
その感想を筆者が渡辺本人に伝えたところ、
「自分は演説の才能はなかったけど、780回ぐらい街頭活動をすれば誰でも上手くなると思います」
と軽く答えていたが、実はこの真摯に継続する姿こそが、
渡辺の政治家としての魅力の本質だ。

継続する努力が発揮される場として、街頭活動は一例にすぎない。
県議としての4年間の活動、また、県議になる前の4年間においても、
「宮城をつくる」という活動を常に継続してきた。
その姿を有権者が受け止めたことによって、2回目の当選に結び付いたのだ。

これからの4年は、渡辺にとって「青年世代」から「中年世代」へ変換期だ。
さらに大きくなる責任を自らの使命と受け止め、
「震災からの復興」という初心を忘れず、渡辺は宮城県の発展に力を尽くす。

(文・佐藤由樹)

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今年はさらに、作家であり、
ともに選挙戦を戦ってくださった小野寺S一貴さんにも、
昨年の選挙戦について寄稿していただきました。

ありがとうございます。

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【選挙戦を振り返って    小野寺S一貴】

議会庁舎1階ロビーで受付を済ませると、奥のエレベーターで5階へと上がる。

待合室らしいスペースにはいくつかソファが並んでいて、
向かい合うように受付の人が座っている。
その横に備え付けられたテレビ画面には、
一般質問をしている議員の姿が映し出されていた。

「たしか、この人の次だったよな」

そう呟きながら、一般質問の順番を書いた紙に視線を落とす。

「間違いない、この次だ」

質問が終了したのを確認すると、僕は正面の重い扉を開けた。
恥ずかしながら、議会を傍聴するのは今日が初めてである。
ちょっとドキドキした。

宮城県議会は典型的な半円状議場となっている。
このレイアウトは、古代ギリシャやローマの劇場が発祥と言われ、
観衆が観やすく、音響効果に良い影響があるらしい。とは言っても……

傍聴席は170席あるが、実際に傍聴している人はほとんどいない。

「まったくもう。政治に文句を言う前に、みんな観に来たらいいのに」

なんて、これまで一度も傍聴に来なかった自分のことを棚に上げて勝手なことを思った。

議場は驚くほど静かだ。
国会中継でよく見かけるヤジなどは聞こえない。

前の方の席を選んで座ると同時に、彼の一般質問が始まった。
今日の質問は、「『復興・創生期間』後における復興について」
「近年相次いで発生している短時間集中豪雨対策について」
「新たな県民会館・県美術館の集約案について」
「ICT等教育環境の充実について」の4点だ。
どれも興味深い内容である。

彼は、議長席前の演壇に上がるとシャンと姿勢を正し、
ひとつひとつの質問を読み上げていく。
ハッキリとした少し高めの、だけど落ち着いた声で。

県議会議員の役目は、議会で県政にとって重要なことがらを議決することだが、
そのためにこうやって有権者を代表して直接、
質問や意見をぶつけることも大きな仕事のひとつになる。
そしてこの役目を堂々と担えるのも、県民から負託を受けたからに他ならない。
思えば厳しい戦いだった。僕は背もたれに身を委ね、そっと目を閉じた。
思い出すのは約一ヶ月半前……。

令和元年10月18日、選挙戦初日。

甚大な被害を及ぼした台風19号からまだ数日、
その傷跡はまだ日本中に残っていた。
頼むから降らないでくれよ、と祈った甲斐があったのか、
前日までの雨予報もなんとかなった。
まるで空が、降り出すのを堪えてくれたかのように。
若林区上飯田の広場には、たくさんの支援者の人たちが続々と集まってきた。

正面に置かれた選挙カーの前には、赤いジャンパーを着た男がいた。
肩にかかる黄色のたすき。
候補者の名は「渡辺勝幸」といった。
その横で話しているのは遠く広島から駆けつけてくれた、自民党青年局長の小林史明衆議院議員だ。
(これも1期目にも関わらず、宮城県連の青年局長として活躍している証だな。
気合を入れて応援しなければ)

僕がそんなふうに考えていると、

「お疲れ様っ」

ふいに声をかけられた。
顔を向けるとよく知る市議の先生が手を差し出してくる。

「あ、お疲れ様です。今日はありがとうございます」

僕は背筋を伸ばして頭を下げた。

「大変な戦いになりそうですが、頑張りましょう」

そう言って力強く手を握ってきた。
同じ政党とはいえ、こうやって応援に来てくれるのは本当にありがたい。
これも渡辺勝幸の人望だろう。

集まった支援者を見回すと、見知った人の顔もちらほら見える。
駆け寄って挨拶を交わしては「頑張ろう!」と力強い言葉を送り合った。
こうやって候補者を通じて縁が繋がるのも、また面白いものだ。

そうして熱く始まった選挙戦だったが、順風満帆とはいかなかった。

相手候補の激しい攻勢を耐えしのぎながらの、
まさに満身創痍の戦いが続いた。

風向きが悪いと感じれば自転車で地域を回り、
ひとりひとりと握手しながら直に有権者と接する機会を作った。
自転車は急遽支援者の人たちから借りてきたママチャリだった。

またある日は、大雨の中マイクを握っての必死の訴えを行った。
候補者本人が

「生まれて初めて豪雨で目を開けられない状態で演説しましたよ」

と笑って教えてくれたほどだったから、
相当大変な思いで演説したことがわかる。

後から周りの人に聞くと、雨音がすごくて
近くにいた人でもほとんど演説は聞こえなかったということは、
本人には言わないでおいた……。

その日の選対会議では、

「大雨の状況によっては選挙カーで回っている場合ではないですよね」

「警報レベルによっては、すぐに避難誘導に選挙カーのマイクを切り替えましょう」

そんな会話が幾度となく繰り返された。
有権者の安全への配慮も議員としての大事な役目だからだ。

そんな中でも最大の敵はやはり、

「いやー、渡辺くんは大丈夫でしょ」

という声が予想以上に多かったことだ。

その声を聴くたびに、票が1票、また1票と取られていくような
気がしたのは僕だけではなかったようで、
その都度みんなが

「いや、そんな簡単にはいかんのです」

「本当に厳しい状況なんです」

そう言って説明を繰り返したほどだ。
どこに行っても頭を下げた。

それでも心強かったのは、連日支援者の方から

「手を振ったのに気付かなかったぞ。それじゃ支援者が離れる、しっかりしろ」
「もっとあの地域を回らないと」
「街頭での話が聞こえ辛いぞ、あれじゃもったいない!」

という、厳しくもあたたかいアドバイスだった。

夜にはその情報を共有して、皆一丸となって改善を図った。
そして戦った9日間の日々。

最終日の最後の訴えには、なんと100人以上の支援者が詰めかけ、
なぜだか胸にグッときたものだ。

だからこそ、開票日に選挙事務所で当選確実が出た瞬間は
本当にみんな嬉しそうだった。
僕も思わず立ち上がり、その様子を写真に収めた。
中年のオッサン達が、戦い抜いたオッサン達が、
みんな本当にいい顔をしていた。

ハッとして目を開けると、渡辺勝幸の質問はまだ続いていた。

あ、俺、寝てしまったか。
いや、ちゃんと聴いていた、うん、聴いていた。

この質問内容は、年明けの県政レポートにも掲載されるのだろう。

渡辺勝幸は県議に初当選した平成28年1月に第1号を発行してから
毎年4回の県政レポートの発行を欠かさない。
この冊子が届くころには第17号が発行されているんだと思う。
河北新報への折り込みもしている。ある時、

「これだけしていたらお金かかって大変じゃないの?」

と、僕が尋ねると、

「いやあ、正直赤字で……」

そう言って彼は苦笑した。

だけど、そうやって自分の活動をみんなに知ってもらうことが大事だと。
そして知ってもらうためには、妥協は許さないという決意が強く伝わってきた。

とはいえ、選挙の行方なんて人生と同じで、本当にわからないもの。
国政の流れに左右され、新政党の勢いに押されることもある。

それでも今回も1万票を超える人たちに負託を受けたことは、
本当にすごいと思うのだ。

僕はそんな思いで、檀上から村井知事に質問を繰り返す彼の姿を見ていた。

ここにまた帰って来たことが、またスタートなんだと思いながら。

頼んだぞ、同志、と思いながら。

翌日、昨日の一般質問の様子が掲載されていないか新聞を広げてみた。

そこには「若手議員」の質問としての紹介がされていた。

「若手議員? って、名前出ないの?」

僕は思わず声を上げた。

なるほど。
これでは自分で県政報告をしなければいけないのも当然だ。

真面目な政治家は大変だ。
だからこそ、僕はまた彼を応援するのだろう。
僕にできる形で。

これからまた4年。
渡辺勝幸の大きな仕事が続きます。

県民の期待に応えられる県政にするため。
若林区から宮城県政のために更なる活躍を心から期待しています。

(文・小野寺S一貴。作家。仙台市若林区在住。昭和49年気仙沼市生まれ。
ソニーの関連会社でエンジニアとして活躍したのち、作家デビュー。
『妻に龍が付きまして・・・』『龍神と巡る 命と魂の長いお話』
『龍神ガガの人生相談』『龍神ガガの日めくり格言――毎日を幸福に生きるための31の言葉』
をものし、相次いでベストセラーに。
令和2年3月に扶桑社より出版された『やっぱり龍と暮らします。』も話題となっています。)

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佐藤さんと小野寺さんの文章に、
吸い込まれながら時を刻みました。
素敵な文章、本当にありがとうございました。

昨年一年間、私の政治活動をお支えいただいたみなさまに、
あらためて感謝申し上げ、
さらに政治活動を進めてまいります。

⇒ 「渡辺勝幸応援団から、平成30年政治活動についての講評」(H31.4.28)

⇒ 「渡辺勝幸応援団から、平成29年政治活動についての講評」(H30.2.21)

⇒ 「渡辺勝幸応援団から、平成28年政治活動についての講評」(H29.2.27)

⇒ 「渡辺勝幸応援団から、平成27年政治活動についての講評」(H28.3.6)

⇒ 「渡辺勝幸応援団から、平成26年政治活動についての講評」(H27.7.1)

⇒ 「渡辺勝幸応援団から、平成25年政治活動についての講評」(H27.7.1)

(第3564号 令和2年6月17日(水)発行)