結局、麒麟が来たのは、徳川家康
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NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が盛り上がっています。
コロナ関係により撮影が中止に、
6月7日をもって放送が一時中止になるそうです。
前半戦も終了、
山場の長良川の戦いが終わり、
主人公・明智光秀は浪人となり、
越前へ逃げたところまで来ています。
政治的な敗北を私自身も何度も経験していますが、
現代は命まではとられませんので、
戦国時代だったら自分も大変だなといつも感じながら、
それでもやはり敗戦の惨めな思いは、
私も経験したつらい記憶を思い起こさせます。
しかしいろいろな戦国武将が出てくる中で、
まだ青年の戦国武将、何の実績もない、
松平元康が出てくるのは興味深いです。
のちの徳川家康。
このドラマ「麒麟がくる」のテーマから言えば、
本当の意味で戦いが終わり平和な世の中がくる、
麒麟が来たのはこの徳川家康の時代であるといえます。
中国の歴史書『史記』では、
王が仁(徳の一つ)のある治世を行い、
穏やかな世になったとき、
その王のところに現れる霊獣が「麒麟」なのだそうです。
そういう意味では、
明智光秀の思いと同時に、
メインの武将である織田信長よりも、
徳川家康の描かれ方が非常に気になるところです。
その徳川家康、
戦国時代の武将としての強さはいかばかりか。
どれぐらい強い武将であったかというと、
戦績はなんと、
【17勝56敗】
だったのだそうです。
負け越しもいいところですね。
勝率は2割3分2厘で、
プロ野球だったら最下位、
打率で言っても平凡以下の打者でしょう。
歴史を少しでも知っている人ならば、
徳川家康は幼いころ苦労し、
若いころにちょっと負けたぐらいで、
あとは連勝の武将ではないか、
と思う方が多いでしょう。
「勝つことばかり知りて、
負くることを知らざれば、害その身に至る」
(東照宮遺訓)
徳川家康には、こんな言葉があります。
しかし家康以外でも、多くの成功者は、
成功より負けの数の方が圧倒的に多いのだそうです。
それだけ多くチャレンジしているからだともいえますね。
徳川家康に見習って、
負けることを厭わずに、
チャレンジ精神を大事にしていきたいものです。
後の世の私たちにはわかることですが、
最後に麒麟がくる、
平和な時代をつくるのは、
徳川家康の時代です。
(第3534号 令和2年5月18日(月)発行)